Thursday, October 26, 2006

100m先

100m away
Tri-X RICOH 500GS

現在富士通跡は学鳳中学、高校の工事が行われています。
富士通跡、といっても僕が会津に来たときにはすでに原っぱになっていたわけですが。
学校が開校したらこの通学路もやかましくなるだろうなぁ。

さてRICOH 500GSについて。まったく役に立たない薀蓄です。
このカメラは名前の通りリコー製の、いわゆるレンジファインダーカメラです。
レンジファインダーとは簡単に言うと距離計に連動したピントあわせが出来るファインダーのこと。

35mmフィルムを使用したカメラの歴史を見てみると
初期の距離計搭載カメラは距離計のファインダーと構図用のファインダーが
別だったりして不便だったのですが、かのライカが1954年にM3を発表します。
このカメラでついに構図確認用のファインダーと距離計のファインダーがひとつになり
ピントあわせと構図あわせが同時に行えるようになります。
このM3の完成度が当時あまりにも高かったため、日本のカメラメーカーは
レンズ交換式レンジファインダーカメラの開発をあきらめ
レンズ交換式一眼レフの開発にシフトしていった、というのは有名な話です。
しかしレンズ一体型のコンパクトカメラの分野ではレンジファインダーは盛んに
用いられました。
一眼レフはレンズの映像を直接確認してピントあわせが出来るわけですが
ミラーとペンタプリズムを内蔵しなければいけないためカメラが大きくなりがちだからです。
特に60年代後半から70年代前半はコンパクト化と露出の自動化に伴って
プログラムAE搭載のレンジファインダー・コンパクトカメラが爆発的に普及したようです。
このころのカメラに共通する特徴は
1. 35~45mmあたりの単焦点。高級機はF1.7程度の明るいレンズ。普及機はF2.8程度。
2. ほぼすべてレンズシャッター。
3. プログラムAE(絞りもシャッターも自動)かシャッター優先AE。高級機はマニュアルもサポート。
4. コンパクト化にこだわったものが多い。

肝心の500GSですが、リコーのwebページによると発売は1973年。僕の生まれる10年前。
大きさは幅111mm高さ 71mm 奥行き 56mmでかなりコンパクト。
正面から見ればパスポートよりも小さい。
基本的にはシャッター優先AEですが絞りを自分で決めてマニュアル露出もできる
というマニアックな仕様。当時のコンパクトカメラは基本的に自動露出のみで
マニュアル露出は高級機か輸出機しかなかったりする。日本ではオートマンセーだったんですね。
さらに素晴らしいのはマニュアル露出でも露出計が動く、という点。
これはシャッター優先の自動露出が露出計の針押さえ式という単純な構造だからこそ
出来たと僕は勝手に解釈しているんですが、こんなマニアックなスペックで普及機を出すのは
リコーならでは、という感じがします。
マニュアル露出が出来る、という安心感は現在のカメラマニアたちを魅了し
プレミアが付いたりするのですが、さすがリコー、知名度がなかったのか
このカメラは中古ではむちゃくちゃ安いです。

ちなみにマニア心をくすぐるエッセンスの例
1. レンズがすごくよい
  書籍やネットで、このレンズはすごい!とか書かれていたら使ってみたくなるの。
2. 金属製
  金属製だと壊れにくいイメージなんでしょうか。安心します。チタンとかなら鼻血もの。
3. 何か知らんがやたらコンパクトだ
  精密機械の凝縮感というものに魅力を感じるわけですな。小型カメラは写真家の夢。
4. マニュアル露出もできる
  ほらほら露出計の電池が切れても写真撮れるんだぜ?みたいな。

こういう価値観にどっぷり浸っているとデジカメとか電子回路の詰まったコンパクトカメラ
がおもちゃに見えてくるわけですね(笑

2 comments:

Anonymous said...

つ「5.機械式シャッター
  電池が無くても写真取れる上に、電子式は壊れて部品なくなったら終わりだけど、機械式は永久的に壊れても治して使えるんだぜ?みたいな。」

Konishiroku said...

米早いですね。

機械式シャッターは確かに。
今C35とかヤシカエレクトロとかが人気ない理由も電子式シャッターですし。
当時はやっぱり電子式というキーワードにプレミアム感とか憧れがあったのかもしれないけど。