Friday, February 23, 2007

ツインベッドと電話

Twin Bed and Phone

完成された空間。
ホテルはまさにユートピア思想の体現ですね。

写真はホテル横浜ガーデン。
現像とスキャンの順序がちぐはぐで時間軸を行ったりきたり。

巖谷國士「シュルレアリスムとは何か」の第3章「ユートピアとは何か」によると、
ユートピアという言葉は日本では好意的にとらえられているけど欧米ではそうではない。
日本人はユートピアと聞くと桃源郷、理想郷として楽園のようなものを想像するが
実際のユートピアとは高度に管理された人工的な社会であり、意味が違う。
巖谷さんはこの本の中でユートピアという概念の歴史と思想の変遷を述べています。
ギリシャのプラトンはアジア的なもの(具体的に言うとペルシャ)の侵略からアテネの理性を守る
ためにユートピアという思想を作った、と。
そのアジア的なものの特徴として
「規則性、反復性がなく、不定形であり、自然に近く、無限にそして旺盛に増殖し繁茂するもの」
と述べられています。
もちろんこれはギリシャの理性的な面との対比の比喩ですが
この言葉、フレーズを見たときに「ポケットの中の野生」という本を思い出した。
この本はゲームポケットモンスターに関するテレビゲーム論で、中学か高校のときに読んだ。
内容はそのときの僕には多少難しくあまり覚えてはいないのだけど
子供の意識と無意識の境目、意識のヘリから染み出してくる無意識の欲動が
ポケットモンスターなのだ、という論調だった。
その無意識の欲動の特徴が不定形で、無限にそして旺盛に増殖し繁茂するもの
として述べられていた気がする。
擬似ユートピアのようになってしまっている現代社会に対して子供は敏感に反応している
ということですかね。
検索したサイトから少し引用させてもらいます。こちら
『著者の中沢氏は、ポケモンのゲームデザイナー田尻智氏との対話の中での
「時代や環境によって変らない子どもたちに潜む衝動」という田尻氏の言葉に触発され、
それはレビィ・ストロースなどのいう「野生の思考」にほかならないとして次のように述べる。
“野生の思考はいわゆる未開社会の独占物ではない。現代の社会のまっただなかでも、
それはまだ生き残っている。
それどころか、ときにはまわりの「まともな大人」のひんしゅくを買うほどの、
大変な繁茂をとげていることさえある。テレビゲームがそのような世界のひとつなのだ。
そして、『ポケットモンスター』というゲームは、そのなかでもとりわけ、
子どもたちの中に眠っている無意識下の衝動に、すなおで豊かな表現をあたえるのに成功した。
そのとき、子どもの衝動は、野生の思考に姿を変えるのだ。”』

実家に戻ったときに「ポケットの中の野生」探しとこう。
よく理解するためにはレビィ・ストロースの著作とか無意識に関する知識が
あったほうがいいのかなぁ

こんなエセユートピアな社会で正気を保っていられる人間のほうが
逆にこころを病んでいるのかもしれない、とも考えられます。
そういう視点で見ると引きこもりは実に「健康的に」ユートピアを拒絶している...ようにも見えるし。
ニートの精神は実にまとも...なように見える。
まあ自分は引きこもりにもニートにもなるべく、なりたくはないですけど。

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