Monday, November 27, 2006

Step

Step
Tri-X Olympus XA

ステップを、登っているのか、降りているのか。

土曜日、バイト後になぜか三部会の2次会に参加。
やる気でA藤の焼酎を飲んで酔っ払う。
酔っ払ったまま安D宅で5時ごろまで飲む。
ちなみにメンバーは安D、のんちゃん、假屋崎、自分。なんだこれ
帰りにのだめカンタービレのコミックスを全巻借りる。
日曜日、10時ごろ起床してそのままのだめを読み続ける。
5時からバイト。
終わって3時ごろ学校に来る。
英語の課題をやって(学校で)就寝。
月曜日、起きて研究室で朝ごはん。 ←今ここ
今週のミーティングは金曜日に変更。
英語授業。
部活。本日のメインデッシュはT30でございます。

のだめは面白かった。ドラマ化される前から興味はあったんだけど読む機会がなかったんだ。
A藤ありがとう。これはクラシックが聴きたくなるね。

久しぶりにコピペでも。

「写真は芸術として最低レベル」スレより
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/photo/1162648779/l50

4 名前: (`・ω・´)シャシーン 投稿日: 2006/11/04(土) 23:58:04 ID:tj9tRcCi
 まず芸術という言葉に含まれるものは時代とともに変化し、
 それが今余りにも肥大化している為に写真は芸術であるかなどという
 議論自体が成り立たない
 生きる事すらアートだと言われる

 次に写真としての写真と芸術の道具としての写真がある
 アート作品の最終形態として写真が選ばれることが多くなっているが、
 それは実際の所、写真にすることで商品としての流通性が増すという
 だけのことのように思う

 写真としての写真というものを考えると、写真がまず示すべきものは
 写真でしかありえない純粋な写真そのものを示すことだと思う
 考えてみれば写真はその誕生から今日まで絵画を目指していたとしか思えない
 構図、露出、ピント、そのコントロールは全て絵画を目指すために行われている
 フォトグラフ、光画だと考えればそれで正しいのかもしれない
 しかしそれは光を画材として使った絵画でしかない
 写真の固有性としてよく持ち出されることに、撮影者の意図しない偶然性が入り込むということがある が、
 それでは絵画では画家の意図しないものが入り込む余地はないのだろうかと考えると
 アクションペインティングなどというものを持ち出すまでもなく、
 そもそも絵画は偶然性の塊であると言える
 筆や絵の具を完璧に操れる人間などいないからだ


ブックオフとかでアサヒカメラが置いてあったらついつい買ってきてしまう。
定価900円ぐらいでもブックオフなら100円とか。安い。
アサヒカメラのなかにフォトウォッチングという記事があってインタビュアーの大竹昭子さんと
ゲストの対談が毎号載っている。
ゲストで茂木健一郎が出てる回があって、当然写真とそれを撮ったとき、見たときの脳を
主軸にして語られていたんですが、これが面白かった。
脳の感覚領域と運動領域は直接繋がっていなくて、脳内のイメージというものは
一度出力してみないとわからない、とか。
写真はまだ出来て150年しか経ってないから、これから人間の写真の見方とか捉え方
というのはドンドン変化していくだろう、と。

茂木さんの本も少し読んでみようかなぁ。

2 comments:

Anonymous said...

道理で大会の手伝いにこなかったはずだ・・まぁそんな俺も最初手伝って後は違うことしてたがな。
T30のタイム採り頑張るか

Konishiroku said...

飲みに行かなかったら手伝い行けたかもしれんがねぇ。まあトラ部と交流ができたのは良かったのか。